top of page


 ほんのちょっとの出来心で思っていただけ。実行しようだなんて決めたつもりもなくて。

 でももしかしたら……いつか朝起きたら。あの男が言っていたように、俺は軽い気持ちで行動していたのかもしれない。

 それくらい、どうでもいいものだったんだ。


 今ならわかる。
 りこが俺を誇りに思ってくれた今だからわかる。


 ……「今」って、いつかって?

 内緒。

 

 


 これは、俺がもしかしたら……それをどうにかしようとしていたところを結局しなかった、っていうお伽噺。

 意味わかんねえ?

 

 別にいいよ、わかんなくて。
 俺はりこがいつも通り俺のそばにいてくれる日常があるなら、誰の共感も同意もいらねえから。

 

 

 
 
りっぷたいでんはにー!
IF・おさななじみの更にIF・特別編
「たましいのさけびが時空をこえる」

 

 

 

 

 

 どこだここは。

 ふと目を開けたら、というか開けたかどうかも憶えていないが、気付けばどこだかわからないここにいた。

 

 おかしいな……今日も至って普通の日だったはずだ。

 最近寝坊しないりこと朝から中学に一緒に行けたし、まあ、部活に入ろうとしているりこをどう止めようか策は練ってはいるけど。あと、本気で俺は猿かなって思うくらいには毎晩りこの想像でずっと慰めてるけど。

 それ以外は特に悩みもねえし。……つーかそれがかなり大きな悩みではある。

 「…………。」

 


 なんもねえな……地面すらねえ。強いて言えば景色は銀河だ。

 ……夢か?

 それとも俺はどこかで頭でもぶつけて意識ぶっとんでるとか?


 深く考えても仕方ねえパターンだなこれ。


 すると、ふっ、と後ろから風が流れてきてウッディなムスクが突然俺の嗅覚を奪った。振り向いたら黒いスーツを着た、……俺?

「……誰だお前、大人の俺みたいな顔しやがって。」

「当たり前だろう俺はお前だ。正確に言うとお前の六年後の、しかも違う時空間の俺だ。」

 


 なに言ってんだこいつ。


 

「お前頭大丈夫か? ……って俺なのか……俺の頭は大丈夫なのか?」
「うるせえなとにかくお前は俺だ。大人しく俺の話を聞け。」

 ふと辺りを見渡すと、銀河からパ、と毎日通る見慣れた場所に変わる。

 りこんちの前だった。

 

 ただし俺と、ポケットに手を突っ込んで立ち尽くすこの男以外の人間はいない。天気は良く、鳥のさえずりや遠くから車、バイクの音なんかも聴こえるけど、人が誰も居ない。後ろを振り返ると変わらず俺の家があるけど、やっぱり人の気配は感じない。
 ちょっと不気味だ……。

「今回限りの一度しか言わねえ。余計なことをすると俺もお前も危険だから、とにかく俺の言うことを聞け。」

 

 ……。

 目の前の大人な俺がめちゃくちゃ鬼気迫っていたからとりあえず黙った。

 こいつ、見た目はいいな。それにリックスより背高いんじゃねえ? 体つきもしっかりしている。筋トレでもしてんのか?
 ふーん……俺は六年後、こんな男になっているのか。

 でもすげえ眼光鋭い……やばいことやってそう。

「お前、今十三歳だよな。」
「ああ。お前は十九? すげえガタイ良いな。なんで金髪なの? 目つきめちゃくちゃ怖いけど、お前何かやってんの?」
「……細かいことは気にすんな。こっちの世界のお前の状況は把握している。ふんっ安心しろ、お前は絶対俺のようにはならねえよ。りこと育った、ただの『坊っちゃん』なんだろう?」

 俺を鼻で笑うその姿はリックスのそれよりかなり態度が悪質。

「ただの坊っちゃんってどういう意味。お前もそうだろう。」
「ハッ、一緒にするな。いいか、お前は俺よりもすっっっっ…………ごく恵まれてるんだよクソ。」
「最後の語尾いらなくねえか。」

 俺自身にクソと言われても、所詮俺だから全然怒る気にならねえな……不思議だ。あと多分きっとこいつがこいつ自身に言ってる気もするし、というか俺だから即ち俺に言ってるんだけど意味わかんねえからもういいや。


「本題だ。明日、それを決行することをやめろ。」

 


 言われて心底驚いた。

 

 何故それを知っている。

 

「細かいことは端折れ。」
「?! 俺今しゃべってねえぞ。」
「細かいことは端折れっつってんの。ここはお前の意識の中なのに会話か思考かなんて区別されると思ってんのか? 黙って聞け。いいか、お前は明日、お前の人生史上で最大最悪なミスを犯す。だから俺はお前の五年後のお前に、俺やお前の世界の思考や技術水準では到着できないような桁違いの遠い異空間からわざわざ引っ張り出されてお前に忠告しに来ている。」

 つまり、目の前にいる俺はどっかに存在しているパラレルワールド的な場所からわざわざ来たということか?
 へえ……あるんだなパラレルって。まあ、あるか。そのあたり俺の脳と心は柔軟にできている。

「なんかよくわかんねえけど、そもそもなんで同じ時間軸の未来の俺じゃなくて、知らねえ時空の所縁もねえ未来のお前がわざわざ来てんの?」

 と言うと、目の前の俺はめんどくさそうに髪をかき上げてから腕を組み、俺に凄む。いや、凄んでるつもりはないのだろう。目の前のこの俺はそういう人相だから、どうしてもそう見える、というだけだ。

「なぜならな、明日ミスを犯したお前の五年後は、地獄の日々を乗り越えられなくて人格もなにもかも危険な有り様で、とても今のお前に助言できる余裕がないからだ。」

「…………つまりそれほど、俺が今思っていることは実行するな、ということか。」

「そういうこと。明日でなくても永遠に実行するな。俺なんだから俺の言う意味わかるよな?」

「……基本的に俺は知らねえ他人のアドバイスなど容易く受け容れない。」

 けどお前、俺なんだよな?

 

「この俺がどういう心持ちでわざわざこんなに真剣に忠告しているか、お前にはその重さがわかるはずだ。俺だって基本、他人にアドバイスなんかやんねえし聞かねえよ、至極どうでもいいからな。しかも俺はな、屋敷でのんびり暮らすお前と違って自分で解決できないとマトモに生きていけない世界にいるんだよ。だからそうでないお前は素直に聞け。俺から見たらお前なんてデロデロに甘いイージーモードで生きてんだ。なんなら交代してくれ。」

 ばーか誰が交代なんてするか。りこの相手はこの俺だけだ。お前なんかにやるか。

「ばかはお前だ。俺とりこを、お前とりこで交代してくれっていう意味だよ、クソ、話が紛らわしいなさっきから。」

 チッ、そうだった丸聞こえだった。

「ふーん。お前にもちゃんとりこがいるんだな。じゃあ心配無用だ。さっきから気になってたんだよ……そんなクソ悪い人相と態度で、とてもりこと釣り合うように見えねえもん。お前絶対まだ片想いじゃねえの。」

「てめえ……俺が気にしていることを……。」

「お前、もう十九なんだろう? 勘弁してくれよ。違う時空だから良かったけど、俺からお前に忠告してやる。りこはそんな恐ろしいオーラをむき出しにする男なんか絶対好きになんねえ。紳士になれよ。」

 ……十歳の時に俺がリックスに言われたことの請け売り半分だけどな。

 と、目の前の男は突然俺に対してすげえ勝ち誇った表情になり「フンッ!!!!」と鼻で笑った。

「黙れクソガキ。俺はな、お前に忠告されるまでもなくりこにだけは紳士だし、りこはもうとっくに俺の女なんだよ。」

 !!!!!!!!!!!!!!!!


「ほっ……、本当か!!??!」
「フンッ、自分に嘘ついて何の得がある。」

 そう言った時にこいつは腕を組みかえて……、俺はこいつがリングをしていることに気づき思わずそれを指す。

「おっ、お前……、もしかして!!?! そのリングはりことのけっ、」
「違う。」
 ぴしゃりと被せ気味に会話を切りやがった。

「物事には必要不可欠な経年と順序があるんだよ。お前、相手は清く美しく正しいりこだぜ。俺みたいな未成年がりこにすぐ結婚してもらえるとでも思ってんのか?」

「……。」


 異議なし。


「でもな、これはりこが選んだペアリングだよ。」
「なんだと!!??!」

 りこが俺とのペアリングを選んだだと??!??!?

「いいか、ペアだ。ペアリングっつーのは恋人同士しかつけない。付き合ってないとつけない。仲良くないとつけない。互いに好きじゃないとつけない。……フッ、羨ましいだろう。」

 こいつ凄い勝ち誇った顔してる!! 全然ムカつかねえ、だって俺だし!!
 マジかよ……未来のりこって、ペアリングを俺に選んでくれるくらい俺とラブラブなのか!!

「ラブラブって……。お前、結構恥ずかしいこと考えるんだな。まあラブラブだから? そう思ってくれて構わないけど。」
「どのくらいラブラブなんだ?」
「んー……、毎日りことキスするくらいにはラブラブだな。」
「んぐっ!!!!」
 舌を噛みそうになった。

 りことキキキキキス!!!! キス……!!


 ぅわ、こいつすげえニヤニヤしてる。俺は、毎日りことキキキキスできるようになるのか!!?!?

 ああああっ……嬉しすぎて顔に力が入らねえ!!!!!!!

 そうだ、馴れ初め!! ちゃんと聞いて参考にしないと!!

「ぉお前が、りこに告白したのか?!?!?」
「ああ。」
「りこは何て言ったんだ!!?!?」
「あ? ……あー……んーと、まあ、最終的に『はい』って。」
「なんで大事なところを濁すんだよ?! ちゃんと言えよ! どこで言ったんだ?! りこはどんな反応だった?!」
「色々複雑なんだよ。最初に言ったのは図書室だけど……、屋上でも言ったし俺の部屋でも告白やり直したり、その後りこの家の玄関で仕切り直したり、まあ、どれをお前に言ったらいいのか迷っただけだ。」

 えっ……。

「お前告白し過ぎじゃねえ? つまり最低三回は振られるってこと?」

 俺、りこにそんなに振られるのか……?
 さっきまですげえ幸せだったのに気分が急降下した。

「お前それくらいで心折れてんじゃねえぞ。」

 いきなりすげえ舌巻いて怒りやがった。スペイン語かよ。

「くそ、俺のくせにお前はなんて弱い奴なんだ。これだから温室育ちは……って違う、俺のようにならないようにお前が理想のイージーモードでパラレルしてんだろう?! 大体、俺がりこに出逢ったのは高校二年なんだよ。りこの隣を陣取って育って来たお前とは根本から違う。」
「高二……? お前……子どもの時はりこと一緒に過ごしてないのか?」
「そうだよ。俺が高校に転入したら、クラスにりこがいた。」

 この十九の俺は、それまでりこの存在を知らなかったのか……?

 なにそれ。
 俺は今十三だけど、俺の人生の思い出はどこにでもりこがいて、りこでいっぱいなのに……こいつは今十九で、三年程度しかりこと一緒にいないということ?

「お前って死ぬほど可哀想な奴だったんだ……それじゃ人相もクソみたいに悪くなるな……よく生きてこれたな。」

「なんかムカつく。あと俺の人相にりこは関係ねえ。忠告に来てやってんのにマウント返してくる辺り、やっぱりお前は俺だ。まあ何とでも言えよ。俺はお前とは違うが、あの時りこに出逢えて……しかもりこが俺を好きになってくれて、今は宇宙一幸せだから。」

 その点に関してはこいつがすげえ羨ましい。なんだよ……すげえ気の抜けた表情になりやがって。

「じゃあお前は正真正銘りこと恋人同士なんだな。告白は何度もしてるようだけど片想いとかお前だけの勘違いとか、してねえよな? そういうのストーカーって言うんだぞ。」
「お前に言われたくねえ。俺たちは勿論正真正銘の恋人だよ。」
「りこはお前に好きって言ってくれるか。友達じゃねえぞ? 彼女として。」
「言ってくれる。照れ屋さんだから、俺から訊ねないとなかなか自主的には言ってくれないけど。」
「あー、だよな! りこは照れ屋さんで頑固さんでもあるからな! そうか……りこが俺に好きって言うのか……へへ。」
「照れてどもっちゃう時もあるぜ。まあ俺がりこの中に入ったままキス寸前の隙間一ミリで訊くからいけないんだけど。」

 !!!!??!???!!!!?!?!?

 俺の顔がドカンッと真っ赤になるのがわかった。

「あー悪い悪い。こっちの俺にはちょっと刺激が強すぎたな?」
 そう言いながらこいつはすげえ悪い顔でニヤニヤニヤニヤしている。
 え? ええ??!?!!!!??!!

 つまりこいつはりこと、してるってこと?!

 うそ!!!!!!!!!

「嘘じゃねえな。」

 俺の脳内は一気にりこのまだ見ぬ……あ、いや、昔は見たけど今は絶対もう全然違うだろうし、まあるい肩とか鎖骨から下のふっくらした所とかいろいろ勝手に服を脱がせた先にある世界を思い描こうとして、ふとこいつも俺の思考が見えていることに気づき、慌てて思考を無にしようとしたけど、いや、待てよこいつは本物を見てるし中にも入ってるし、と思い一気に腹が立ってきた。

「お前今、俺のりこの裸を勝手に覗き見ただろう。」
「いや、これお前の想像だろう? 本物じゃねえ、ノーカウント。……どうせなら、十三歳のりこの顔とか、小学生とかもっと小さい……赤ちゃんの時とかを思い出してくれねえ? 俺、見たことがないんだよ。」
「は? 写真やムービーを見せてもらえばいいだろう? 彼氏なんだから。」
「……。いいから、ほら、思い出せ。ほら。」

 

 …………。

 


「てめえ……なんで無心になるんだよ……!」

 フンッ!!


 ああ……りこの中かぁ……いいなあ。りこすっげえ可愛いんだろうな……。
 十九歳のりこってどんな感じかな。今よりめちゃくちゃ色気あるんだろうな。だだだってほら、お、俺ともう、その、し、してるんだろう? やばいな……、もう、夢じゃん。俺の人生の夢であり目標到達点であり山頂じゃん。

「お前の脳内すげえ恥ずかしいな。何その山頂。顔も無表情でニヤニヤしてるし。そうか、俺ってこんな感じなんだな……。りこの前では気を付けよう……。」

 そうだった俺の考えはこいつに筒抜けだった。

「なあ、お前の初めてはりこなのか?」

 そう聞いた時、こいつの目はかすかに大きく開いたようだった。

「教えろよ。お前とりこ、初めて同士で大丈夫だったのか? 今のお前を見ているとりこと幸せになっているのが十分伝わってくる。童貞のくせにりこを大切に抱けたのか? それとも別で発散したのか? 乗り越え方を教えろ。俺はそれが不安で……。」

「……。」

「さっきお前は『実行するな』と言ったな。俺は紳士だから、りこの気持ちが整うまで見守るだけにしている。でも最近……欲のほうが限界なんだ。このままだと俺はりこに手を出しそうで、りこを傷つけてしまう。りこに嫌がられるのが死ぬほど怖い。……なあ、解決策を教えろよ?」

 すると目の前の十九の俺から表情が一気に抜け落ちた。

 ああ……、俺はこんな死んだような顔もできるんだな。


「話しても無駄だな。そりゃそうか……お前は俺だもんなあ。その思考回路、クソほど知ってる。」


 どういう意味だ……?


「解決策、ね。いいぜ、手っ取り早くお前に見せてやるよ。どこでもいいから俺に捕まれ。」

 そう言うとそいつは俺に背を向けて歩き出したので、慌てて追いかけて腕を掴んだ。その瞬間パ、と景色が変わる。

 ……。

 また同じ場所だった。りこんちの前だ。隣には俺の家。


 ただ、心なしか雰囲気が奇妙だった。


 なんだろう……何が違う?
 空気が悪いし淀んでいる気がする。空は雲一つなく晴れているのに胸を抉るような不安を感じさせる、冷たく暗い景色。


「ここはお前の五年後の世界だよ。淀んでるように見えるか? それはな、五年後のお前の心が淀んでいるからだよ。」


 ……?


 パ、とまた周りが変わった。場所は同じまま突然、道に通行人らが現れる。自転車に乗る人や犬の散歩の高齢者、帰り道の中学生。皆、俺達を無視して歩き続ける。

「周囲の人間に俺とお前の姿は見えねえよ。そもそもここは最初から意識の中。今は五年後のお前が体験している日常の風景に入り込んでいるだけだ。」

 瞬間、本能に近い勘で視界に捉えたのは一本道の向こうからこちらへ歩いてくる女子高生。

 眼鏡をかけて、髪を耳の下で二つに結んだだけのシンプルな姿でずっと下を向いて歩いている。ブレザーにリボン、規則通りの長さで履いているプリーツ幅広めのスカート。紺色の靴下に茶色いローファー。

「りこだ……。」

 すぐにわかった。ああ、十八歳のりこ。うわあ……大人っぽいな……。こ、言葉がうまく出てこない……、ああ……、すごい、りこだけ輝いて見える。好き、好き。
 でもりこ、下を向いて歩き続けるのは危ないよ。転んだりしたら大変だから、前を見て。

 俺はあの制服を良く知っていた。
 私立三田女子高。よく斗儀らに会いにミタダンに侵入していたので、あの制服を遠くから見る機会は結構あった。


 そっか……、りこは女子高に行くのか。

 仕方ない。りこが選んだんだから。

「ふ、じゃあ俺は確実にミタダンに行ってるんだろうな。」
 だってミタジョに行くりこを一番近くに感じていられる場所はミタダンしかねえだろう。

「……まあ、よく見てろ。」
 こいつはそう言うと、りこの大分後ろを歩く人影を指す。


 学ランを着た男だ。
 黒の生地にグレーのラインが入った制服。バッグを肩に掛けて、ポケットに手を突っ込み歩いていた。


「俺じゃん……。」


 大きな衝撃を受けた。
 遠いからまだよく見えねえけど、どこの高校だろうあれは……、あ、渋谷のマンモス校か?

 ていうかなんで俺はミタダンの制服じゃねえの? お前、なんでそんな知らねえ高校に行ってんだ?


 ふと、かなり近づいてきたりこに目線を戻す。

 俺たちの目の前に来た。わああ……、十八歳のりこ……、さ、触りたいよ……!

「触れねえよ。りこに俺たちは見えてねえし。俺はお前の時空に来てやってるからお前に触れるけど、この景色は別の時空を映画のように上映しているだけだ。」
「チッ。」

 りこが玄関のドア前に立ち、学生バッグを開けてガサゴソと手を動かす。きっと玄関のカードキーを見つけようとしている。

 可愛い……。

「ああ、可愛いな。りこはどこの時空でも可愛い。」
 十九の俺も迷わず同意した。

 はあ……りこ、すごい色気だ。大人っぽい。ふふ、多分、こんなシンプルな装いだから学校では真面目とか言われてそうだよな。それでいいよ。誰もりこの色気に気付かなければいい。

 りこがふと、道の先に目をやった。


 その瞬間かなり慌ててバッグの中を探し始めた。

 まだ遠くを歩いていた学ランの俺は、あれは絶対りこを見ている。りこが自分に気付いたことに気付いて、戸惑いがちに足を止めたようだ。

 りこはとにかく焦った様子でバッグの中を漁り、あった! と呟いたと思ったらすかさずドアを解錠し、家に入ってしまった。

「……なんだ今の……?」

 まるで俺を見つけた途端、逃げて隠れたみたいじゃないか。

 そう、まるで……俺に会いたくないような態度。

「……りこ……?」

 心臓が変な動きをし始めた。耳鳴りまでする。

「いいか、よく見てろ。」

 りこが家に入ってからは、遠くにいたあの男はかなり大股の早足でここまで歩いてくる。その顔を見て俺は驚いた。

 

 生気が全く無いのだ。

 良いのなんて外面だけ。こいつは俺なんだから、どれほど生きる気力を無くしているかなど一目瞭然だった。
 目の下にはこびりついたようなクマ、険しい顔つき。十九のこいつとはまた違う、生命の危機的な淀みを感じた。瞳なんか濁りまくってる。


 十八のそいつは……、五年後の俺は、りこの家の玄関に立ち尽くした。


 りこが家に入ったのはこいつも目撃している。玄関のチャイムを押せばりこが出てくるのは当然なのに、その俺は指をボタンに置いたまま、一向に押そうとしない。その指は、というかそいつを纏う空気全体が……恐怖で震えているのがすぐに伝わってきた。

 俺はそいつのそばで見守る。それしかできなかった。

 違う次元から来た十九の俺も、そいつを複雑な表情で見つめていた。十九のそいつの瞳から感じるのは十八の俺に対する怒りと……、憐れみと、蔑み。そのあとそいつはりこの家へ視線を移し、その先にいるであろうりこには懺悔と、痛みと、救済の乞いを求めていたように見えた。

「っ!」

 目の前の五年後の俺は、ふと震えた指で多分うっかりボタンを押してしまった。

 大いに慌てたそいつは、でも急いでポケットから手を出して制服を手で叩き、黒い髪を撫でて整え、自分の顔を両手でパン!と叩く。開いていた襟を詰めて正し、咳ばらいをして、家の応答を待った。


 一分、二分、……三分。


「…………。」


 五年後の俺はその間ずっと、唇を噛みしめながらそこに立ち尽くす。


「…………。」

 

 りこは、出てこなかった。

 

 嘘だろう?

 だってりこは、沢山喧嘩しても、恭太なんて絶交だ! と言っても、学校で俺を無視しても、俺がチャイムを押せば開けてくれるんだ。「なんか用?」って、すごくふてくされた顔で、怒ってるんだから話しかけないで、っていう表情をして、でもドアは開けてくれるんだよ。


「お前……りこに何したんだ?」

 俺の声は、五年後の俺には届かない。

「絶交のレベルじゃねえだろ、こんなの……お前、何をしたらこんなっ、りこに会えなくなるようなことに……!」

 りこはずっと隣にいるのに、会えないってどういうことだ?

 こいつは……、どれくらいりこに会えていない?
 身長だけでかくなって、でもよく見るとこいつの体は今そこにいる十九の俺より明らかに細い。覇気も無ければ血の気も無い。

 

「りこ……ごめんなさい。」

 下を向いたまま、十八の俺はポツリと呟いた。声なんて出ていない空気のような掠れ声。

「大好きだよ。」

 噛みしめていた唇からはうっすらと血が出ている。その俺はのろりと顔を上げて、りこがいるであろう家の二階を見つめる。

「ずっとりこだけが好きだよ……。どうしたら……信じてもらえるかな……?」

 

 その俺が持つ荒み濁った瞳と、今この場を照らす晴天模様が合致した。相反するものが同じものに見えて、さっき十九の俺が言っていたことを理解する。

 まるでホラー映画の情景。

 

 これが俺の未来。

 血の気が引いた。

「りこ……会いたい。ねえ、怒ってよ……、俺に何してもいいから……無視しないで。俺に存在理由をくれないか。」

 


 これが俺?


 五年後の俺?

 

「そうだよ。これが正真正銘『お前』の五年後だ。」

 黒づくめの十九の俺は、五年後の俺越しに十三の俺へそう言った。

 目の前で起こっている光景があまりに衝撃的過ぎて、俺は縋るように十九の俺を見つめ返した。
 何故こうなった? 何故。何故俺はりこと、こんな状況に。

 体が震えてきた。

 

 嫌だ……、こんな未来……、嫌だ!!

 

「さっきお前は俺に言ったな、解決策を教えろと。これはお前が俺の忠告を無視した結果の未来だ。目の前にいる十八のお前が、深く暗い意識の一番奥底から死に物狂いで過去を悔いた結果、何かが俺を喚び出し、俺をお前に引き合わせた。」

 目の前にいる五年後の俺が……、俺に?

「何故遠い時空で生きている十九の俺が選ばれたのかは、予想だけど……多分同じような状況を乗り越えた年齢の近い俺が唯一この俺であって、適任だった。こいつにとってはきっと希望だったのかもしれない。」

 同じような状況だと? つまりこの十九のお前も、こんな状況にいたのか?

「……俺のことは話さねえ。俺だって今みたいに忠告してくれる俺がいるんだったらあの時喉から手が出るほど欲しかったよ。」

 十九の俺は、この世で一番苦いものを噛み潰したような表情でそう言う。

「十三のお前は、五年後にこうなりたいか? なりたいんだったら、衝動に流されればいい。……なあ? りこへの愛と性欲に負けた五年前のお前は、自分の視界を壊して生きた人形で処理することにしたんだよな?」

 と、聴こえていない十八の俺へ、十九の俺は嘲笑うかのように同意を求めた素振りをした。
「お前は誰だってよかった。だって顔なんて見ねえから。」

「……。」

 今度は俺を見た。

「でもなお前、自分のスペックわかってんだろ? その辺の女なんかすぐお前にハマるに決まってんだろうが。噂を広められてあっという間に大量の女がお前に群がってくるよ。でもお前は懲りない。一度味をしめると抜け出せずに、世界中で色んな『りこ』人形に手を出す。しかもそういうのを知った男っていうのは雰囲気が変わる。りこは割と早く気付くよ、お前の軽薄な色気に。で、少しずつお前と距離を置くようになる。」

 世界中……。あげく、りこが俺から離れていく……。

「勘の鈍ったバカなお前はそれに気付かない。むしろ自分を男としてようやく意識してくれているのかと前向きにさえ取る。だからりこの誕生日に告白するんだ、ここで。」

 そいつが『ここ』を指す。つまり、りこの家の前だ。

「『自分はもう大人で、色んな世界も見て、汚え人間の部分もかなり身をもって学んだから。遂に自分はりこを大切にできるような紳士になった』と。そう疑わなかったんだよお前は。まあ、そもそもお前にとっての女遊びは、りこを自分自身から守るために始めたことだからな。しかも、リックスも斗儀も、お前が遊び始めたことを知っても助言しなかった。なんでだと思う? ……お前が、りこの話を一切しなくなったから。」

 そう。精通してしばらくしてから俺は、ガキの頃みたく周りにりこのことで喚き立てることをやめた。
 だってそんなガキくさいことをしている限り俺はりこの心を掴めないと思ったから。

 勿論リックスや斗儀から、りことは最近どうなったのかとたまに聞かれることはあった。「いつも通りだよ」となるべく簡潔に返答するにとどめた。

「それを周囲の奴らは逆に捉えるんだよ。もうお前はりこに興味がなくなったんだと。やっぱり子どもの恋愛ごっこだった、と。」

「あぁ?! そんなわけねえだろう!!?! おっ、俺はりこのことばかりで頭がおかしくなりそうだからっ……!」

「俺に言うな。俺は俺なんだからそんなの骨の髄まで知っている。」


 くそ……リックスらは俺をそういう風に見始めるのか。
 つくづく、俺はガキなんだ。

「そうやって運命はお前に破滅の選択肢を用意し続ける。ただし、それと同じかそれ以上にも救済の道だって用意されていたんだ。だから破滅をわざわざ選び続けたのはお前だ。」

 俺はバカだ。

「……その告白の後、お前はどうなったと思う? りこに言われるんだ。……もうたくさん女の子がいるのになんで? って。」

 りこは既に知っている……俺の行いを。

「りこは、なけなしの勇気と死ぬほどの緊張を乗り越えてしたお前の告白を、少しも信じない。当たり前だ。りこからしたら、世間的には見た目の良い女たちをそこら中で食べ散らかしている隣の幼馴染が、今までアピールも特になく、ふと思い出して取ってつけたように告白してきたんだ。信じるわけがない。」

 膝が震える。ここに立っているのが精一杯だ。息が詰まってきた。動機もおかしい。

 ああ、なんてことだ。
 こいつの言っていることは正しい。紛れもなく当たり前で、ちょっと考えればわかること。


「十三のお前に全部言うべきか迷うな……。お前はもう理解しただろうし……、でも十八の俺が全部言えと、腹の底から叫んでるんだよな……。」

「聞かせて欲しい。俺は……、俺は、こいつになりたくない。全て知っておきたい。」

「死んだほうがいいって思うぜ。」

「いい。そこまで聞いておけば絶対俺はミスをしないはずだから……。」

「じゃあ簡潔に言うよ。……本当はその現場を見せてやったほうがいいのかもしれないけど、まず俺がそんなシーンのりこを絶対見たくないのと、お前が見たら衝撃が凄すぎてまともに目覚められるかどうか不安が残る。だから悪いけど俺が代弁する。」

 十九の俺は、そう言うと十八の俺を見つめ……俺に向き直った。

「りこはお前に伝えていた志望校とは違う高校を内緒で受ける。家族には入学先のことを周囲に秘密にするように頼み、入学式にお前はりこがミタジョへ進路を変えていたことを知る。」


 俺は……、りこに嘘をつかれるのか。


 今現在の俺は、りこはいつだって近くにいるのだと……りこと付き合うことは心のどこかで叶うことだと、りこが俺と恋愛できるまで待っていればいいだけなんだと、高をくくっていたことにハッとさせられた。

「お前はりこを問い質すが、りこは『恭太と一緒の高校に絶対行きたくなかったから』と言う。」

 それは俺の心臓をぐちゃぐちゃに潰せるような言葉だった。​

「『私は恭太をそういうことで満足させられるような女の人達の一人にはなれないし、恭太にそういう対象にできると思われたことがショックで、もう友達だと思えない』『恭太の今までの噂を思い出すと吐きたくなる』『今日から他人だと思ってくれて構わない』『私から話しかけることはもうない』『できればあまり近寄らないでほしい』と返す。お前は弁解するが、りこがそれを信じることはない。」

「…………。」

「…………。」

 

 俺も、十九の俺も、力が出なくなってその場にへたり込んだ。
 十九の俺には関係ねえくせに……「りこにそんなこと言われるなんて……生きてる意味ねえな」と震えたため息をしていた。


 そこまでりこに言われたら、俺はミタダンに転入なんて恐ろしくてできなかったのだろう。だから、りこと一緒に通えるはずだったその学ランの高校に行ったのだ。

「お前はさ……、生まれた時からりこと一緒なんだろ。りこに生きた年数すべてを知られている分、裏切りの代償は相当でかい。俺はあの時りことほぼ他人だったから……俺に対する期待値なんて最初からゼロかマイナスだった。でもお前は、もうりこにとって家族みたいなもんだろう?」

「……。」

 目の前で立ち尽くしたままの十八の俺は、多分高校になんて最低限しか行っていない。俺の予想だけど、りこが朝出る時間か、夕方帰る時間に合わせて行動して適当に授業を抜けて、どこか中間点でりこを待ち伏せて、遥か遠くからりこを見つめて登下校しているだけだと思う。

 それを三年。
 この俺は……ただ呼吸だけをしながら、繰り返しているのだと思う。

 

「なあ。この後……十八の俺はどうなるんだろう。」
「……どうなると思う?」
「お前は知ってるのか?」
「ああ。」

 

 俺は……、死ぬのかな。

 

「どうだろうな。」

「だって、もう生きてる意味ねえよな。こんな奴……りこに心底嫌われて。」

 気付いたら俺は喋りながら涙を流していた。

「りこに他人って言われて、セフレ候補にされたと思われて。俺がたくさん抱えているりこへの愛なんて何にも伝わってなくて……当然だ、俺は結果として何も伝えなかった! ただただ自分中心で振る舞い続けて……俺はりこに存在を拒絶されたんだ。」

 溢れて流れて、それは止まらなかった。

「なあ……十九のお前は、お前の世界でこれからりことどうなるんだ?」
「それは俺も知らねえ。」
「なんで。お前は俺の今も未来も全部知ってるのに、お前は自分のことは知らねえの?」

「俺は役目を与えられて強制的にこの場に来ている。つまり俺は抗えない巨大な何かのパシリとして使われてるだけなんだよ。だからお前のことを情報として知っているだけであって、本来ならお前が生きるこの時空自体、俺は知る必要もねえ。そんな俺が自分の未来なんて知っているわけがねえだろ。ああ、ちなみにお前はあと数分で眠りが浅くなり、一時間後には目が覚める。その時にはここで見て聞いたことをすべて忘れているから、次元も時空も何も歪まない。俺もお前のことをすべて忘れる。安心しろ。」

 なんだと?!

「これをすべて忘れるのか?! そんなことしたら俺が選択を誤る可能性だってあるだろうが! 俺が目の前にいるこんな奴のようになったら……りことずっと話せない地獄のような状況になったら、どうすんだよ!!」


「……まだ間違える気でいるのか?」


 そいつは立ち上がり、へたり込んだままの俺の手を引っ張った。


「訊くがお前は今、誰が好きなんだ? その想いは、誰にぶつけたい?」

「今、などと言うな。俺はもうずっと……、りこだけが好きだ。りこに、りこだけに俺を好きになってもらいたい。俺が想いをぶつけたいのはりこだけに決まってるだろう。」

 俺は十九の俺を睨みつけて、そいつの手を払い立ち上がった。

「……今すでにそれをわかってんなら、お前は大丈夫だよ。」

 ふ、とそいつは俺に笑った。

 

 その瞬間周囲の景色はぐるぐる回り、銀河へと戻る。

「素直に愛を伝えればいい。紛らわしいことをするな。変に大人ぶるな。迷ったら『りこならどちらの選択肢が好きか』で選べ。実に簡単な解決策だろう? 逆を選んだらさっき見たようにお前が精神的に死ぬんだ。りこに嫌われて死にたいならそうしろ。」

 ああ、本当だ。なんて簡単なんだろう……!

「『お前』の人生に巨大な障害はない。優しい世界で生を享け、すぐに運命と出逢い共に育つことができた奇跡を噛みしめ、捩れず、寄り道せずに、誠実な選択肢を優先して生きろ。俺たちは所詮、りこの前ではただの男だから。」

 そう言うと、俺の返答を待たずに十九の俺は背を向けて歩いていってしまった。

 

 気づいたら視界には、何もなくなっていた。

 

 

 

 

 

 …………ブー、ブブー、ブー……。


 なんだ? 耳元で何かが振動している。

 

 ブー、ブブー、ブー、ブブー、ブー。


 うるせえな……なんだよ。
 今日は学校休むって決めてんだよ。もう耐えらんねえ、りこの匂いとかりこのぷにぷにした顔とかふにゃって笑う唇とか揺れる髪とか体育の時に少し揺れる胸とかスカートからちらちら見える膝、足、もうぜーんぶ。耐えらんねえ。だから俺はりこに襲い掛からないように自分でなんとかしないとなんねえ。邪魔すんな。邪魔すん、

「!!!!!!!」

 

 マンガみたいに吹っ飛ぶ勢いで俺は起きた。
 だってこのバイブレーションパターンでの着信は滅多にないんだ!! 激レアケースなんだぞ、起きるに決まってる!!
「ああっ!!」

 焦りすぎてスマートフォンを取った手が滑った。

「あっ、早く出ないと切れちゃうっ! 待って、待って切らないで、待って、っもしもし!!」


『おはよう。ふふ、寝惚けてるの?』

「あっ、りこっ、あ、おはよう。いや、起きた、大丈夫。」

 はあああ、りこの声だ……りこの声……! ああもうやだ、これだけですげえ勃ってるし、全身切なくなる!

『あのさ、もう遅刻するから私は先に出るよ。恭太も早く出ないと間に合わないよ?』
「うそ?!?!? うわっ、もうこんな時間?! ちょっと待って、俺今すぐ準備するからっ、待ってて! 車出すから一緒に行くぞ!」
『また車? うーん……、やめとく。皆にばれて何か言われると嫌だし……、』
「大丈夫、この前より遠くに停めるから! 決まりな、五分で終わらせる!!」
『あ、恭太、』
「じゃあ後で!」
『……わかった。じゃあ。』

​「ん。」

 嘘みたい!
 朝からりこに起こしてもらうなんて、なにこれ?! すげえご褒美!!


 着替えながらふと自分の股に目をやる。うーん、これは勃っちゃったが無視しよう無視。抜いていたら完全に遅刻。
 りこと朝日の下で仲良く登校できるんだ、そっちを選ぶに決まってんじゃん。最近暇つぶしに読んでいる量子力学の多元宇宙論でも考えて気を紛らわそう。

 

 


「りこ、おはよう! ほら乗って!」
「恭太おはよう! ありがとう、早く行こう!」

 

 車の中で朝飯のトーストを頬張りながら、ふと思った。

 変な夢を見た気がする……?
 あと起きる寸前、なんか考えていたな。何かを実行しようとしていた気がする……。学校を休もうとしていた気もするんだけど……、なんだったっけ。

 んー?

 ふと、心がもや……、とした。


「なあ、りこ。」
「なあに。」
「俺は何があってもりこと同じ高校に行くけどいい?」
「……は? 私まだ高校決めてないよ。ていうか恭太はちゃんとしたすごい高校に行ったほうがいいんじゃないの?」
「んー? 行かねえ。そういうのは最終学歴がしっかりしていればいいんだよ。」
「ふうん。まあ、恭太の好きにしたら。」
「好きにする。だから女子高はやめてな。」
「ん。」

 よくわかんないけど、心がパアッと一気に晴れた。

 変な俺。


 まあ、変なのは知ってるけど。だって俺だし。
 りこのことに関しては変で結構、IQ六でも二でも構わない、何とでも言え。

「……。」

 もぐもぐ咀嚼しながらチラ、とりこを盗み見る。パラパラと英語の単語帳をめくって勉強していた。ページをめくる指すら可愛いなんて、りこは一体どこまで可愛くなるつもりなのだろう。

 わっ、くそ、ダメダメダメダメ! 脳内を多元宇宙論に切り替えないと!

 …………。

 ふぅ……。セーフ。視界も、りこから目を逸らして外の景色に集中。

 そろそろ、真面目に攻勢したほうがいいのかな……。

 俺がどれだけりこを大好きでたまんないのかを吐き出したくて最近苦しい。

 

「恭太、ほっぺにジャムついてるよ。」
「うわ、どこどこ。」
「ここ。じっとしてて、取るから。」
「!!」


 はああああーーーーーーっ…………。


 幸せっ!!


 もう今朝のことなんて思い出せなくていいや。だって今日は朝からこんな近くにりこが側にいてくれる。

 決めた。
 もっとちゃんと紳士になって、りこに誠心誠意愛をこめて気持ちを伝えて、りこに俺を受け容れてもらえる日を目標に毎日を過ごすんだ。
 そこにはどんな人間も入り込ませないし、俺だって一切、りこに疑われるような行動はしない。
 止まらないりこへの情欲すら一人でなんとかしてやる。だって、りこに嫌われたら俺が俺じゃなくなる気がするんだ。

 童貞? いいんじゃねえ? 俺がりこの初めてで、りこも俺の初めてになれば。

 大切に大切に、俺はただ待つよ。その待ち時間さえも愛しいものに変えてやる。

 

 俺が俺でいるために。

 

 

 

 おわり。


少し毛色の違うお話を書いてみたくなり、ifの小学五年生には急ですが十三歳になってもらっちゃいました。

ifの世界では絶対に選択されることのない『破滅の世界』に、”選択経験者”が豪華ゲスト出演。

人生の選択肢は誰にでも平等に全てがそこにあるはずなのですが、その人の人格水準、人間関係、育ち、環境などなどが選択条件として立ちはだかり、その人自身がたくさんの可能性をふるいに掛けるわけです。
だからあの時、AかBかを選択するという分岐点があったとしても、"本編"の恭太氏には分岐など存在していないかのようにAだけが見えて、ifの恭太氏にはBだけが見えるのだ、と。
だけど、Bしか見えないifの恭太氏にAを無理矢理選択させたらどうなるかを書くために、意識の中とされる"銀河"でパラレルワールドと出会いしかも未来という真里谷そこはどこなの的な舞台設定で書くことになりましたえへへ…。

作者の読者的お気に入りは恭太が恭太へ、真剣にドヤってるところです。

他人に排他的な恭太(達)にとって、りこの存在価値=∞っていうのは本人(達)しか身をもってわからないので、ちょっとだけ先に進んでいる恭太氏がお若い恭太氏にマウントかけてしかも「すげー!(本気)」とか思われてドヤドヤ(本気)してるのがいや~良かったね君たち…と。(生暖かい目)

推しが同じ&自分(達)だから、凄さが心から理解し合えるし分かち合えるという。

お読みいただきありがとうございました!

2020.02.09

まりや

side kiota
side riko

​​ここから下は、上記の「幼馴染世界の13歳の恭太」ではなく、その彼が「本編世界の19歳の恭太」に連れられて見せられて絶望した、「幼馴染世界の選択肢ハードモードを選んだ18歳の恭太」のお相手である「りこちゃん」の、お話。


 ひどいことを言ってしまった自覚はある。
 汚らわしく思ってしまったことも認める。
 だって、子どもだった。

 などという理由で人を傷つけて良いわけはない。
 すべては、私がとても小さな世界で勝手に視野を狭めて生きてきてしまったせいなのだと思う。
 生まれた時からすぐ隣に、とても大きな世界で生きている人がずっといたのに。なぜ私はこんなふうになってしまったのかな。

 考えてもわからなかった。

 でも今目の前で私に歩み寄ろうとしてくれているこの人を拒絶し続けるのは……もう違うのだと思う。


「りこ、五分でいいんだ。話がしたい。」

 ちゃんと目を見て向き合うのは何年ぶりだろうか。驚きで口は動かず、私はバカみたいに直立不動の状態だった。

「……話していいのか?……えっと、あっ、五年半、ぶり。嬉しいっ、りこと話せて。」

 さきほど駅から家までの帰路にある公園を横切ろうとした際、ばったり会って目も合ってしまい、私は驚いて立ち止まった。びっくりしすぎて足が動かない。その隙に目の前に立ちはだかれてしまったのだ。

「あのっ……りこ、卒業おめでとう。制服、最後の日だな。」

 思わず首をかしげてしまった。お互い高校を卒業したもん。同じだよね。

「……。」

 声が出ないや……。
 久しぶりに目の前に来た恭太はこんなに背が伸びていて、大人の男性の顔になって、学ランを着こなしていて、なんだかとても良い匂いがして……あ、恭太は中学の時から良い匂いだったっけ。もうどんな香りだったか憶えていないけど。ついでに、いま何を話してよいのかも全然わからない。

 なんだかとても遠くの存在の、知らない男性のようで。

「りこ、ごめんなさい。ごめん。本当にごめんなさい。」

 頭が働かず突っ立っていたら、恭太は静かに深く、私に頭を下げていた。それを見て私は余計に頭が真っ白になってしまった。

「五年半、ずっと俺はりこに謝りたかった。独りよがりな謝罪かもしれないけど、りこに許されたいとか都合の良いことを期待して謝ってるわけじゃないから、できればそのまま聞いてくれると嬉しい。あの時俺がりこの信頼をすべて失ったのはちゃんと理解しているから、今俺がりこに全然必要とされていないのも勿論分かってるし、幼馴染としてもずっとりこは俺みたいな気持ち悪い奴から離れたかったのだろうし、こうやって今俺なんかのために時間を割いてくれていることが奇跡なのも、全部ちゃんとわかってる。ごめん……りこの貴重な時間を俺にくれて、本当にありがとう。」

 胸がえぐられるような言葉だった。
 彼は、決して自分のことを「気持ち悪い奴」などと言う性格ではなかった。「俺なんかのために」だなんて、私に対して使うはずもなかった。

 こんなに震えながら、涙を流す人でもなかったはずだ。

「りこに、ちゃんと伝えたかったのは……俺はりこをそういう遊びの対象にしようだなんて、一度も思ったことはないんだっていうこと。あの時の俺は、ただ純粋に……りこが好きだったんだ。……あの、でも、信じられなかったら無理強いはしない。りこを困らせるつもりは全くないから、りこの好きなように解釈してくれて構わない。」

 両手で目を雑に擦り、ずず、と彼は鼻をすすってから顔を上げた。

「……マジでごめ……超みっともないね俺。こんな、まさか泣くつもりはなかったんだ、気にしないで。ごめん。当てつけみたいになった。」

 ハンカチの一つでも渡してあげればいいのに。でも私の体はまったく動かないままで、声だって出ないのだ。

「あのな……俺は小さかった頃のようにまた、りこと仲良くできたらいいなってずっと思ってる。でもりこの気持ちが最優先だから、教えてほしいんだ。りこが俺のことをもう生理的に無理とか、近くにいるだけでも受け付けないのであれば、俺はもう……一生りこの生活の邪魔はしない。でももし隣の家にいてもいいなら……また俺と、友達になってほしいんだ。」

 恭太と私が小さかった頃。
 色々あったね。今なら笑えるけど、本当にどうでもいいことで私たち、しょっちゅう喧嘩してた。ほとんど毎日いっしょに宿題をしてたし、龍を入れて三人で遊ぶこともあった。幼稚園の頃はお風呂も一緒に入ったことがあるし、小学生の時はご飯をよくお互いのお家で一緒に食べていた。特に恭太は真夜中になるまでお家で一人だから、お手伝いさんたちが用意してくれた夕飯を私も一緒に食べたりした。

 たくさん話して、たくさん喧嘩して、絶交なんかもして、たまにお互い泣いたりして、でも楽しかった。

 私は、いつから間違いを許せない人間になっていたのだろう。そんなに私って高尚な人間なの?じゃあ私は間違わないの?
 生まれた時から一緒にいた人との絆をこうやって結び直したいと願っている人がいて、私だってそうなれればどんなに良かったかと何度思ったかしれなくて、五年半が経っていた。

 私たちはどちらも幼く、子どもだった。なのに今も私は子どものまま、頑なに変化を拒むのだろうか。


 お互いぐちゃぐちゃにして拗れた糸を解くのはきっと……今なのではないのかな。

「私も……あの時、傷つけてごめんね。なっ仲直り、だね。」

 私の想像など及ばず、まさかこの五年半の間こんなに傷ついていた彼を前に、緊張して凄くぎこちない言動をしてしまった気はするけど、これが今の私の精一杯だ。


 彼は途端に涙が溢れた目を再度ゴシゴシと擦り、目を真っ赤にして「ありがとう」と破顔した。

 

 

 


----------------------------
 

一年前に書いたこのifパラレル番外で唯一、末期の死相が出ていた「十八歳の彼」のその後です。
あのままだと本当に彼は悲惨な未来しかないと思ってたので、りこちゃんに救済していただきました。
この数日後にりこちゃんのメールアドレス(この時間軸の彼女はスマホ持ってない)を正式に手に入れてからは、彼は持ち前の全能力と運を使い果たす勢い(本望)で日々りこちゃんとの関係構築フローを練りまくり、宇宙の塵を捕まえるレベルでりこちゃんと恋人になれるチャンスを探りまくりつつ、でもりこちゃんに対しては百兆パーセントの誠実さで幼馴染役に徹します。
それはもう、毎日が超高度な戦い。親友ポジションを堅持しながら周囲は牽制し、でもそれは絶対りこちゃんに悟られないよう命に代えてでも必死に本心を隠し(また避けられたら、この彼はもうきっと正常にはならないと思います)ながら、後悔と嫉妬と焦げまくってる熱情と献身の精神で爆発する毎日を送るのだと思いますへへっ。

 

本編更新調整中のなか急に魔が差して夜中に書いてみたショートストーリーでした。

お読みいただきありがとうございました。

2021.07.11

まりや

​​ここから下は、上記の「りこちゃんに救済された世界の恭太くん」の、その後のお話。

 暁野という表札のかかった扉の前に立つだけで、まるで終わりのない絶望の淵にいる錯覚をするようになってから久しい。
 待ち焦がれた人が出てくることは決してなかった扉の前。
 彼女と、幼馴染として会って話せる仲に戻り月日が過ぎた今も、その闇にいる錯覚は己を戒めるかの如く染みついている。
 インターホンを鳴らすと、自分の全身が自動的に極度の緊張に陥ることがわかる。奇跡が起こって俺の会いたい人が扉を開けて俺を見てくれるか、絶望の淵に佇むまま時が過ぎるか。全身が後者の状況を何度も記憶しているから、未だに恐怖が消えない。
 扉の向こう側からパタパタと可愛い足音が聞こえてきてようやく、その闇はもう終わっているのだと、自分が間違えない限りその闇は来ないのだと、俺の心が息を吹き返す。

「恭太いらっしゃい! 時間ぴったりだね。あがって」

 貴女がこの扉を開いて俺に話しかけてくれるだけで、どれだけ俺の心は救われているのだろう。
「りこ、お招きありがとう!」
 貴女が俺に微笑んでくれるだけで、俺の人生が少しずつ前に進むんだ。

「あ、これ実家の今年のワイン。こっちはジュースだよ。これは生ハム原木。あとりこの好きな苺タルトです」
「毎回いいのに……しかも今日は恭太のお誕生日のお祝いだよ? 主役からこんなにもらえないよ」
「ううん、もらって。感謝しきれないくらい、いつももらってるから」

 今日は十一月七日。夕飯に招待されてりこの家を訪ねた。りこと会話できるようになった奇跡を思うと、こんな手土産程度を毎回持ってきたくらいでは到底足りない。

 

「恭太くんいらっしゃい、久しぶりね。皆で色々作ったから沢山食べていってね」
「久しぶりです。おばさんありがとう。おじゃまします」
 六年以上ぶりの暁野家の中だ。リビングに入ると、りことお母さんがテーブルいっぱいに料理を並べてくれていた。お父さんや龍も俺にいらっしゃい、と言いながら手伝っている。
 またこんな日が来るなんて。感動で胸が一杯になった。
 絶対に、二度と。貴女の一番近い存在の異性としての立場を失わない。
 ……絶対にだ。もう間違わない。

「りこ、俺も手伝う」
「主役は座ってて。あのね、ケーキは私が一人で作ってみたんだ。あとでね。最後に皆で食べよう!」

 彼女と一言も交わせない、つい最近まで続いていた暗黒が過った。いま目の前で起こっている温かな光景が実はすべて嘘なのではないかと……出来すぎた俺の妄想のように映る。
「お誕生日おめでとう!」
「おめでとう。乾杯」
「みんな、ありがとうございます」
 全員席につき、ジュースで乾杯してくれた。
「あ、あのね恭太にプレゼント用意してて。たいしたものじゃないけど、ちょっと待ってて! 持ってくる」
「えっ? りこ」
 りこが二階へと席を外す。
「恭太くん、姉ちゃんすぐ戻るし座って待ってなよ」
「……」
 みんなはクスクス楽しそうに笑っている。
「りこったら、恭太くんの好みとかもうわからないって言いながらこの二週間くらいずっと悩んでたんだけど、無事用意できたみたい。ふふ」
「二週間も……?」
「私たちも君へのプレゼントが何かは知らないんだ。変なものだったとしてもぜひ受け取ってくれないか」
「勿論。勿論ずっと大切にします」
「……六年くらいか? 君とりこが遊ばなくなって。いつの間に二人ともすっかり大人になってしまったね。子供の成長はあっと言う間だ」
「そうだよ、俺が小四くらいから姉ちゃんと恭太くん喧嘩してたん? まあ全然系統違くなったもんね、二人は。姉ちゃんはクソ真面目だし高校の時なんて三つ編みだよ、まあ似合うからいいけど全然おしゃれとかしてなかったしさ。恭太くんはさ、全然会ってなかったけど絶対ずっと陽キャ一軍だったんでしょ? ……え、恭太くん……?」
 気づいたら涙が頬を流れていた。
 信じられない、りこが俺のことで悩んでくれて、りこの家族が俺を快く迎え入れてくれて。こんな幸せがあっていいのだろうか?

「二人が仲直りして、私達も嬉しいよ」
 ボタボタと音を立てて床に落ちるほど俺は大粒の涙を零していた。
「すみません俺嬉しくて。うわ、えっ? 涙がこんなに」
 りこのお父さんが、震えながら丸まった俺の背中を優しくなだめてくれていた。

 

 急いで涙を止めた俺に、このあと彼女は大きな包みを渡してくれた。ラッピングを解いて現れたのは暖かそうなパジャマ。
 外に身に着けていくものは、恭太はとても良いものを持っているだろうから自分ではとてもじゃないけど選べないから。という理由だった。
 嬉しすぎて、これを年中普段着にしたいと言ったらりこはやめてと怒り、皆は爆笑していた。

 貴女と共に過ごせるだけでこんなにも幸せな気持ちになれるのに、それを軽んじて全てを失ったあの日の俺に、絶望の闇を知った俺に、そして燈火を取り戻した今の俺に、あらためて突き付ける。

 

 りこがいつも通り俺のそばにいてくれる日常があるなら、他に何も要らない。

 詩的表現や叙述的にしているわけではない。これは巨大で単純な事実。俺が心を持って生きていくために絶対外せないこと。
 俺が俺として生きていくための心の訴え。

 

 俺の、たましいの叫び。

 

 

 


----------------------------
 

恭太くんお誕生日おめでとう! で何やろうかな~と思って閃いたのが今回の続編です。
「末期の死相が出ていた彼」のその後をりこちゃんに救済していただきまして、今回はその救済後。

関係の再構築に日々全力全身全霊を費やしている最中、誕生日が来た彼が久しぶりに暁野家に招かれた話です。

この彼の話は、これでなんとなく完結かなと思っています。

これからも再構築した関係性を盤石にするために彼はすべてを注ぎます。​

まずは幼馴染の友達として再度信用されるまでコツコツ積み重ねて数年、親友に格上げされるまでプラス数年。

幼馴染という特性上、暁野家の面々には最初から好かれていますので目指すはりこちゃんの恋人の地位ただ一つ。

親友になってから告白するまでにさらに数年。

この世界線の二人がお付き合いに発展するのは、たぶん三十近くになっているかもしれません。笑

でも彼らにとって年齢なんかどうだっていいんです。至極些細なことです。

彼らはどの世界線でも、二人一緒になるならば世界一幸せになれる。

そのために必要な時間なのであれば、かなり遅めに初めて付き合う世界線だってあるでしょう。

お読みいただきありがとうございました!

2024.11.09 まりや

bottom of page